「継続は力なり」は、誰の言葉かしってる? 平松折次か住岡夜晃か?

良く知られてる”継続は力なり”は、誰の言葉だろう?

よく使われる言葉だけど、誰の言葉なのか?

ネット上では、

住岡夜晃(すみおかやこう)の讃嘆の詩(さんだんのうた)の一節から、と言う説が多くみられる。これが、一部抜粋です。

青年よ強くなれ
牛のごとく、象のごとく、強くなれ
真に強いとは、一道を生きぬくことである
性格の弱さ悲しむなかれ
性格の強さ必ずしも誇るに足らず
「念願は人格を決定す 継続は力なり」
真の強さは正しい念願を貫くにある
怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである
悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である
青年よ強くなれ 大きくなれ
住岡夜晃著『讃嘆の詩樹心社)』より

出処かの真偽の程はともかく、青年からほど遠いえっちゃんでも、この詩の力強さに、みぞおちの辺りが、ぐっと熱くなる(´∀`*)アチチ

住岡夜晃は、1895年(明治28年)広島生まれ。教師を辞めた後、親鸞の教えを説いた宗教家。1949年(昭和24年)54歳没。

google検索では、2000年前後から、この住岡夜晃説が、見られるようになるが、それ以前は、よくわからない。「住岡夜晃」と検索しても、なかなか、思うような結果が出てこない。やっと見つけた→讃嘆の詩

継続は力なりの出典元について その1

「継続は力なり」の出典・由来については、諸説あり定かでない。大正時代の教育者・平松折次が「継続は力なり」を標語として掲げていたこと、および、明治時代の宗教家・住岡夜晃が賛歌の詩として綴ったことなどは文献から確認できる。また、国立国会図書館レファレンス協同データベースによれば、イリノイ州のことわざとして「Continuity is the father of success」(継続は成功の父)という言葉が見られるという。しかしながら、いずれもオリジナルであると確証が得られる状況にはない。

weblio辞書 ”継続は力なり”より

ここにある、レファレンス協同データベースとは、国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築している、調べ物のためのデータベースだ。

「継続は力なり」の言葉の出典 で確認できる。

2005年時点では、出典元について、未解決、公開調査になったままなのだ(゚д゚)!

なぜだろう? 住岡夜晃の讃嘆の詩は、2003年に出版されている。このデータベースが書かれた2005年時点で、国会図書館、全国の図書館に、この本無かったの?

継続は力なりの出典元について その2

そして、大正の教育者の平松折次(ひらまつおりじ)が標語として掲げたという説。

平松折次(1880明治13年~1968昭和43年)が、1924年(大正13年)大分に設立した夜間中学校の校訓であり、平松家の家訓でもあるそうだ。

大分市内に「継続は力」という石碑があり、その碑文の中に、評論家の草柳大蔵氏(1924~2002)が「「継続は力なり」の言葉の創始者は、平松氏だと信じるしかない」と刻まれているらしいが、画像検索で、碑文を読めるような鮮明なものが見つからず、実際に読むことができないのが残念。

草柳大蔵氏は、1993年に「継続は力なり―人生を本音で生きた女校長の記録」と言う著書を出版しているようで、これに草柳氏の「継続は力なり」の出典元についての見解が書かれているのかもしれない。

google検索では、2005年の「レファレンス協同データベース」のころから 平松折次説が、見られるようになるが、それ以前はと言うと、これもまた、よくわからない。

まとめ

調べた結果、出典元は、はっきりわからなかったが、それほど古い言葉でない事はわかった。

言葉の真意も、諸説あるのだけど、誰の言葉か定かでない以上、それこそ真意はわからない。

出処よりも、この言葉の意味を、多くの人が、リアルに感じることができるから、自然と知れ渡ったんじゃないか。

えっちゃんは、この言葉を、右の座に置いている。

そうそう、「私の座右の銘は、四角先頭です」と言う人がいて、どんなすごい言葉なのかと、調べた結果、やっぱりすごかった(゚д゚)!

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