昔話に花が咲いて、大笑いしながら、いろんなことを思い出した。
保育園から成人するまで、ずっと昭和を生きてきた。
(1) 保育園~小学低学年は、ソフトにいじめられていた、らしい(^-^;
親から聞くところによると、しょっちゅう泣かされて帰って来るので、親が棒を持ってやり返してこい!と言ったら、さらに大泣きしたとか。まぁ、なんとなく、そうだったかなぁー、程度にしか記憶に残っていない。
(2) 風呂に入るのが大っ嫌いだった。
これ覚えている。ただただ風呂が面倒くさかった。シャンプーは目に入って痛いし、最悪だと思っていた。シャンプーハットを買ってもらってからは、何とか髪を洗えるようになったけど、基本的には風呂は面倒で入りたくなかった。今どきいそうもない、汚い子どもだったのだ。
(3) 宿題はほぼやらなかった。
小学生の頃、席順で班が決まっていて、ドリルの宿題をやっていないヤツがいると班で責任を取らされた。えっちゃんは宿題やらない常習犯で、班に迷惑をかけ続けていた。ごめんなさい、ほんと迷惑なヤツだった。
(4) 文房具は、使い物にならず。
宿題をやらない=勉強はやらない=ノートもえんぴつ不要。筆箱の中は、芯が折れっぱなしのえんぴつ、消しゴムは紛失したまま。一体全体、何をやってたんだ私は?
(5)給食が大好きだった。
えっちゃん世代で、よく話題になるのが、給食の「クジラの竜田揚げ」これ本当に美味しかった記憶がある。それとソフト麺も大好きだった。牛乳に入れるミルメークも美味しかった~♪ 給食は楽しい思い出が多い。そう!牛乳瓶の紙のフタを集めてた。レアもののフタは入手困難だったわぁー。集めたフタを並べて、眺めてた記憶がある。
(6)ランドセルの中、机の中がぐちゃぐちゃでした(@_@;)
好きな給食でもコッペパンだけは食べられなかった。それを、ランドセルに入れて持ち帰るんですが、上記にも書いたように、宿題やらない=ランドセルの中見ない(゚д゚)! 必然的にコッペパンはパン粉と得体のしれない塊に変身してランドセルの中に入ったまま放置されます。教科書はパン粉まみれでした。
整理整頓ができないのは、子どもの頃だけでなくて、今も引き続き継続中なのですが、現在は大人になった分、多少マシになったと思ってます。
(7)随分大人になるまで、勉強の仕方がわからなかった(-_-;) ノートをとるのが苦手で、二行くらい書いたところでギブアップ! 授業は基本つまらない。教科書は落書きだらけでした。中学のころ、みんな単語帳なるものを作っているのを見て、トライしてみたけど、作るのに苦労するわりには、使いこなせないから、結局、意味なかった。
こうやって書いてみると、いやぁー、問題だらけの子どもじゃないですかっ!仲間外れにされない方が奇跡のようなお話で、ソフトなイジメ&仲間外れがあっても、不思議じゃないですねぇ。実際、小学校の高学年まで続いていた。ですが、幸い本人は、楽しく学校に通っていたんですよね。あははは、それはそれは、空気の読めない、鈍感な子どもだったのでしょうね。
こんな小学女子のえっちゃんでも、絵を描くことは好きでした。
昭和40年代の子どもたちは、学校から帰ってくれば、外に遊びに行くのがお決まり。えっちゃんも、外でガッツリ遊んでいました。外には、新しい発見が盛りだくさんでしたからね。たまに家で遊ぶときは、よく絵を描いていた。夢中になって納得するまで、同じ絵を何枚でも描き続ける。それも「横から見た目」とか「鼻」とか(-_-;)
そして、中学になるころには、あれだけ面倒だった風呂にも進んで入った。いよいよ色気づいてきたんですねぇ。朝シャンは欠かせませんでしたから。
見た目も女子っぽくなって、友だちと「こっくりさん」に夢中になった。この頃に、やっと一般女子の仲間入りができた感じです。
こっくりさん知ってますか? 中学一年のころ流行ったんです。文字を書いた紙の上に、十円玉を乗せて、その十円玉の上に3人が人差し指を乗せる。そしてこっくりさんを呼び出して、「誰さんは誰が好きか?」なんてのをお聞きするわけです。すると十円玉が自動的?に動くわけね(笑) 聞き終わったら、油揚げを供えました。こっくりさんはキツネの霊だと思っていたからです。
実は、えっちゃんは誰が誰を好きかより、「硬貨が自然に動く」現象に興味津々だった。その当時から似非科学的なことが大好きで、ノストラダムスの大予言やエリア51のUFOの話などなど。この手の話題は高校まで信じていました(笑)
あはは、もう思い出せば出すほど、どんだけダメダメな女子生徒だったか証拠が固まってきますねぇ~。
とりあえず、長くなってきたので、高校以降の思い出は、また次回(書きたくなったら&ご要望があれば)にします。
それではっ!